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さかたのりこさんの場合

内田先生ってどんな人?

「今日いちばん頑張ってくれていたね~。」

 
内田先生が私に掛けてくださった、決して忘れることの出来ない最初の言葉。はじめて先生のアーサナクラスを受けた後の、帰り際のことだ。かつて経験がないくらいのハードなクラスには、それとのギャップに戸惑うほどの、優しい言葉がちりばめられていた。

当時、スタジオ設立を控えていた私は、夜も眠れず頭を抱える日々を過ごしていた。
 
ヨガを伝承する以外に、いかにして自分のクラスを魅力のあるものにしたらよいのか、そのためには何を伝えたらいいのか、答えを見いだせずに過ぎていく時間に焦りを感じてい私にとって、内田先生が解き放つその独特のあたたかさこそが、はじめての経験として胸に響いた。

私は人としての内田先生の惹きつけられ、講義も受けてみたいと思うようになった。当初はヨガ解剖学を学びたいというよりも、先生のバックボーンを知りたいというのが、正直な気持ちだった。あの魅力的な空気感、なにが作り出しているのか。そしてそれをヒントに、インストラクターの仕事とは何なのかという、私なりの定義を探しだしたいと思った。

解剖学は、人の身体のつくりや構造について学ぶ学問で、広い意味で、そこにある答えは一つであろう。けれど、生徒同士にとにかく身体に触れさせる機会を与える内田先生のヨガ解剖学は、それを学んだ先に、必ず「個体差」があるということに気づかせるという、大きな特徴があった。

決して同じ身体は一つとしてない、当たり前のことだが、頭で理解していた以上に、そこには想像以上の個人差があることを目の当たりにすることになった。人と比べるものではない「個人」というものを自然と受け入れ、尊重する。内田先生のヨガ解剖学には、手のひらで感じることができる哲学が存在していたのだ。

そして先生は、その「個体差」に憎いほどの優しく豊かな言葉を添えていた。マイナスに捉えられがちな身体の硬さも「いままで積み重ねた習慣、その人生を支えてくれているに過ぎないんだよ」と語り、女性の悩みとして多い肘や膝の過伸展にも、解剖学的な理屈を添えたうえで「神様からのギフト。」と、センスよく語る。なんともふわりとしていて、鼓膜に優しい。

知識の豊さに加え、ひとりひとりに寄り添うあたたかさ…次第に増しはじめた先生への信頼感は、今度はクラスでの私のアーサナに、変化をもたらしはじめた。柔軟性のないことや、恐怖心が足枷となってできなかった、アドバンスのアーサナの類いが、みるみる上達していったのだ。

子供の頃にはなんでもなかったことが、大人になるにつれて、怪我をすれば痛いということを知り、失敗を恐れるようになり、自分を守ることに精一杯な毎日の積み重ねが、それまでの私の身体をガチガチに固めていた。
 
けれど怪我や痛みを避けることができ、身体の構造、動かし方を熟知している、そして「個体差」を最大限に尊重してくれださる先生によるご指導は、心のロックをみごとに外し、新しい景色を覗かせてくれた。決めつけていた限界を乗り越えた時のこの上ない喜びーその感動を私も伝えていきたい…関心の薄かったヨガ解剖学に、驚くほど夢中になっていった。
 
信頼と安心感は、ヨガ解剖学でしか得られない、そう思うようになった。

鍼灸の世界に「口鍼」という言葉があることを、お話してくださったことがある。
言葉で患者さんに寄り添うことが、鍼にも叶わないようなよい影響を与えるという意味だそうだ。
そのことを、ヨガの世界の私たちに向けて、「最後は愛だよ。」そう言い換えられた。
その”愛”とは「個体差」を認めたからこそ、伝わるものだ。
だからあまりにもストレートな言葉なはずなのに、躊躇いや照れくささは感じられなかった。

ヨガをする目的は人の身体の数だけあり、人生の数だけある。
そのひとりひとりの身体に寄り添うことすべ、ひとりひとりの心に響く言葉。
内田先生のヨガ解剖学が、机上の理論に終わらないと言われる所以は、そんな奥深さがあるからだろう。

さかたのりこ先生ってどんな人? by 河島歩さん

のりこ先生の教えてくださるヨガには、色々な要素が含まれています。
「のりこ先生そのもの」と言って過言ではないのですが、大きな特徴としては、熱心に勉強されているヨガ解剖学が深く関わっていて、その理屈を知ることにより、こころもからだも自分が自分に許可し、受け入れるということが自然にでき、より快適なアーサナができるようになりました。
 
私自身も知らない間に、想像もしたことのないアーサナに導かれ、発見と驚きや心地よさを感じた時、未知の自分と出会え、みずみずしさ健やかさの感覚にも気づかされます。

のりこ先生は解剖学で得た知識を活用するアーサナを丁寧にご指導してくださっており、それが私にとっては辛いこともあったりしますが、なぜか「できない。」とは思えない気持ちが不思議とあります。それはきっと、のりこ先生の教えに「先」があると感じるからです。乗り越えられるような楽しさがあるということも教えていただいていると同時に、いつか魔法であるかのような理屈が、自身を以て証明できる時がくると信じているのもあるからだと思います。

ご自身の知恵を分け与え、豊かなお心をお持ちののりこ先生は常に、「疑問」を持っていらっしゃるのですが、そこには、自らの力で切り開くことができるのではないかという可能性がたくさん詰まっていて、なんとも頼もしく無限大の希望をも持たせてくれます。

のりこ先生に魅了され続けるのは、その場、その時のだけのものではなく、私たちの今とこれからを生きていく術にもなるのではないかと思える教えがあるからだと思っています。

のりこ先生のおかげで、挑戦し続けられることを知りました。

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