一日の始まりと終わりが、太陽が昇り空が鮮やかな青へ変化すれば、東から西へオレンジ色に染まり始める境界線に気付かないまま、深い宇宙の色へと移り変わるように、
人生という時の流れも、穏やかなグラデーションを描いきながら老いていくものだと、人はどこかで、信じているのかもしれません。
けれどそれは、私にしてみれば幻想でしかなかった…と突きつけられた、初秋の夜。太陽は突如消え、真っ暗闇に突き落とされた、恐怖で震える出来事がありました。
その日曜日の夜。夕食を終え早々と寝床に入った父が、1時間もせずに、母と私がデザートを楽しんでいたリビングへ、背中を丸めながらやってきました。
「みぞおちが痛くて眠れねぇんだ…のりこ、背中をさすってくれねぇか。」
我が家には昔から、ちょっとの傷や腹痛などで「痛い…」と嘆くことは許されない、妙な掟がありました。
母はいつも「痛いと言ったところで治るもんじゃない。黙れ」と。
けれど裏を返せば、誰かが時折訴える本物の「痛い」は、よほどの痛みなんだろうと家族が察知できる、非常ボタンでもありました。その日もリビングには緊張がはしりました。
問診 vs 機器
父に言われるまま、背中をさすると「あぁ、少し楽になるなぁ。」と背中の力みが消えるのが手のひらから伝わってきます。
でも、みぞおちが痛いのに、なんで背中をさすって欲しいんだろう…
私は痛みの箇所を特定するために、少しだけ指で圧を加えて、脊椎を一つ一つ、左右交互に辿っていきました。
すると、ちょうど私の指が右側の肩甲骨下角を過ぎた胸椎8〜9の間で
「あーっソコや!痛いけど気持ちいい…」と父が強いリアクションを示したのです。
これは何のサインなのか。私は父の背中をさすりながら、内田先生に電話をしました。
「先生、父がみぞおちが痛いと言って起きてきたんだけど、なぜだかT8からT9のあたりの右側を押すと、気持ちいいって言うんです。これ何のサインですかね。」
すると、内田先生は
「あぁ、それは胆のうとか胆管の位置だなぁ。胆石が詰まってるとか、僕ならまずその辺りを疑うな。他にはどんな症状がある?」
目の焦点は? 目の色は? 会話は普通にできるか? 汗は?など、幾つかの問診をしてくださった後、「なら間違いないと思うけど、寝られないほど痛いようだったら、救急車を呼びなさい。」と言ってくれました。
原因が予想できたのと、典型的な主訴なのか先生の即答っぷりに頼もしさすら覚え、ややホッとした父。でも、痛みは消えたわけではなく「寝れる状態じゃねぇな…」というので、救急車を呼ぶことにしました。
5分もせずに駆けつけてくれた救急車に、よたよたしながらも父は自力で乗り込みました。私はその間、救急隊員のお兄さんに、「みぞおちが痛いらしいのですが、背中の右側をさすると楽になると言うんです。」と伝えます。ですが、隊員はすぐに仰向けにし、バイタルチェックを始めました。
するとしばらくして救急隊員が「もともと心臓の疾患はお持ちではないですか?」と尋ねてきました。
心臓…? 胆のうじゃないの?
確かに車内で響くピーッ、ピーッと聞こえる脈拍の音は、明らかに不規則。ですがこれは毎朝、家庭用血圧計でも同じリズムを聞いていました。
「血圧も異常に下がっているので、心臓の対応をしてくれる救急病院に向かいますね。」
嘘でしょ…
向かったのは近くの総合病院でしたが、カーテンが締まって外界が遮られた車内の揺れが、気分を滅入らせました。
けれど、緊急性の高いものから疑ってくれたことに、私は別の信頼感を彼らに抱いてもおりました。
明らかな脳梗塞の症状を持ちながら、「画像には写っていない。」と家に帰された、内田先生のお母様のことがあったからです。
<関連リンク アナトミックヨガ最終月〜母ちゃんの無償の愛〜>
大動脈解離の疑い
救急救命室の自動ドアに吸い込まれるように父は姿を消し、母と私はベンチに腰をかけました。するとしばらくして若い医師が経過を報告しにやってきました。
「まず私たちが疑っているのは、大動脈解離です。大動脈というのは…」
白紙の紙にざっくりした心臓の絵と、左心室からの大動脈を描いて説明しようとする医師。
それを遮るように母が
「それは、石原裕次郎さんがなった病気ですか?」と尋ねると、
まだ30代に満たないだろう若いその人は
「すみません、存じ上げないです…」と苦笑いをし、造影剤を投与する旨の同意書にサインを私に求め、すぐに立ち去りました。
「お父さん、死んじゃうのかな…」
母は続けて、大動脈解離を患った有名人の名前を挙げ、「でも、あの人は助かったんだよね!」と、会ったことのないその人に心の救いを求め、冷静を保とうと努めました。
”あのターポリン、オレが買ってやる!”と言った今朝の会話。
それが父の遺言になるのか…
私の心で生まれる不穏な感情と真っ向勝負をしたのは
「あぁ、それは胆のうとか胆管の位置だなぁ。」と即答した、内田先生のブレのない声でした。
<関連リンク 父ちゃん、シニアヨガに目覚める① 〜父ちゃんの小さな夢〜>
廃用症候群の始まり
3時間ほどして、再びERの自動扉が開きました。医師がこちらへ向かって告げるのは
天国か、地獄か…
「検査の結果、急性胆管炎と診断が出ました。どうぞご本人様と面会されてください。」
その時の安堵感とは、首の後ろに滞っていた血液が、一気に全身に廻り始める感じ。軽快な足取りで父のベッドへと向かいました。
「よかった〜お父さん!死んじゃうかと思ったよ!」
と母と私が歓喜の声を上げて近寄ると、父は超がつくほど青ざめた顔で
「オマエの先生を信じてたよ。そうじゃないと、怖くてな。ハハハハ…」と
精一杯の引きつり笑いの硬直状態。明らかに毛布の中では全身はガタガタと震えているのが伝わってきていました。
本人が一番怖かったのは当然のことです。
それにしても、さすが私のGTU。グレートティーチャー・ウチダだわぁ。
もちろん、最も緊急性の高いものから疑って診察してくださった救急隊員の方たち、ERの医師の先生方には、とても感謝しています。そして胆管炎の治療を引き継いでくれた消化器科の先生方にも。
ですが、この時の恐怖心で腰が抜けてしまった父。次に起こしたアクションが、致命的なきっかけとなり、いわゆる廃用症候群への道を辿ることになってしまったのです…。